和歌について詳しい訳じゃないけれど、何か、自然の風景を描写することで心情を現すイメージがある。
そういう和歌の性質って、上手く言えないけど、西田幾多郎さんが、善の研究で説いていた、主客未分の感覚じゃないかな。私、というものと、その私によって認識される世界をしっかり異なるものとして分けていたら、和歌のような発想にならないと思う。
私情の有り様と世界の有り様を重ね合わせられるということは、その2つを分け隔てていないからこそ、可能なんじゃないかな。
だとしたら、和歌は、哲学とは異なる独自の世界観を形成していたってことじゃないか。
昔、日本に哲学無し、的なことを言った人がいたって聞いたことがあるけど、もしかしたらそうなのかもしれないけど、その代わりに、和歌があるのかもしれない。
そして、その和歌的感覚を哲学において表現したのが、西田幾多郎さんなのかもしれない。

コメント