読書、善の研究

善の研究、という本を読んだ。

よく分からなかった。よく分からなかったけど、難しい本を読み終わったぞ、という達成感は得られた。取り敢えずは。

主客未分とか、つまりは、この世界は、自分や他人やそれ以外全てが別々に存在してるんじゃなくて、1つの純粋経験というあり方で存在していて、そんな1つの世界について考える時に、自分とか他人とか世界とか別々に切り離してしまっているだけだってことなのかな。

それでいて、善というのは、そんな、この世界を分けてしまう、分けて認識してしまう、分かれたものとしてしまう存在である人間、というか私が、分かれた物事と、分かれた状態から1つになる、1つになっていくということなのかな。

例えば、上手く言えないけど、何かを学んだり訓練してる時は、その、なりたい姿とは分離してるけど、習得した時は、なりたい姿と合致して、苦も無く、その習得した事柄を行えるみたいな。

例えば、自分と他人が、違いを認めつつも、友達になるみたいな。

でも、なりたい姿と合致してるだなんて、まあ、他人からの評価とか、自己満足とかならあり得るかもしれないけど、客観的というか、真に合致してるかどうかなんて分からないんじゃないだろうか。

また、他人と本当に友達になれたかどうかだって、その他人の心を覗き見ることなんて出来ないから、分からないんじゃないだろうか。

だから、善というのは、1つになったと思い込むことなのかな。

たしかに、今まで出来なかったことが出来るようになったと実感出来たら、実際に習得出来ているかはどうあれ、嬉しいもんな。

気になる人と一緒にいる時に、相手がどう思っているかはどうあれ、自分の方で一方的に一緒感っていうかなんていうか、そういうのを感じれてたら、相手もそう感じてるって思えてたら、幸せだもんな。

まあ、1回読んだだけじゃ駄目なんだろうな。何回も読んでみないと深く把握出来ないんだろうな。

今日は取り敢えず、読み終えた記念に煙草を吸おう。西田幾多郎さんも、愛煙家だったみたいだし。

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